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決断のエネルギー ~それは、あなたの未来への鍵!~ 

「一つ一つの選択の決断が、未来を作り上げている!」

いきなり仰々しい表現で申し訳ありませんが、決断する場面が多く、
日々の生活の中、スッキリと決断できない場合が多いことを痛感します。

”何かを決めることって本当にエネルギーを使いますよね”

もちろん、決断する場合にも色々なパターンもあって、直感にまかせたり、衝動的に買い物したりする場合には、それほど気にならないのですが、いざ、しっかりと考えて、きちんと選び取ろうとする際には、やはり、自分の未来を少なからず決めてしまうものなので、緊張もしますし、力も入ります。それは、心身ともにとても疲れることですよね。

(逆にいえば、リラックスとは、何も自分で決めようとしない状態ともいえるでしょうか…)

 さて、決断のエネルギーを、どうマネージメントしよう…?

ラージャ ヨーガは意志の力(will power)で、実践を継続させること…とも言われますが、まさに、決断のエネルギーは、意志の力によるものが大きいですよね。

しかし、かと言って、ずーっと、緊張しながら意志の力を意識し続けるのは、難しいことです。それこそ、心身症を患いかねません。「果たして、どうしたものか…?」などと考えていた時、ふと雑誌に、社会学者 古市憲寿氏の興味深い記事を見つけました。

古市氏によれば、家庭では何も決めず妻に言いなりなっている夫が、実は大会社の社長としてビジネスの現場でビシビシと決断していることがあるというのです。

彼らが恐妻家というわけではありません。勿論、夫婦仲は円満であり、夫は、妻に支配されていることを喜び、感謝さえしているのです。

「家庭のことはすべてまかせておくよ。それこそ、僕の身の周りのことも、気になるようなら全部決めてくれていいよ」っていう感じなのでしょう。

概して、社会的に地位の高い人は、家庭でも強権をふるうイメージがあるのですが、色々な方がいらっしゃるのですね。そして、古市氏は、「その夫の態度や気持ちは、すべて決断のエネルギーを節約したいという考えから生まれている」と指摘していました。

つまり、ビジネスの最前線で決断すべき重要事項にエネルギーを注ぐために、有限な決断のエネルギーを「自分がどんな服を着るか?」といった些細な問題には使いたくない…だから家庭では妻に任せ、全て言う通りにしていよう!できるだけ決断をしない状況は、それほど「楽」だという証なのだそうです。

決断のエネルギーのうまい使い方ができるのは、信頼と支配欲の抑制!

私は、このコラムを読んで、”決断のエネルギーの使いどころに、メリハリをつけている人は、やっぱりいるんだ…”と思うとともに、”そのメリハリは、周りへの信頼や自身の支配欲を抑制できているから可能なのかも…”とも、考えるようになりました。

大会社の社長が仕事を優先するのは、わかりますが、家庭でも仕事場と同じほど大事な決断が必要な時はあります。個人の幸福感のベースになるのが、家庭の役割ですものね。

奥さんの立場にたってみれば、「心地よい家庭にするには、どうしたらよいか」「ご近所づきあい、親戚づきあいは…」「健康のために、どんな食事をとろうか」「自分の息抜きはこれでいいのか」「老後はどうするのか」、子供がいれば、「教育環境や学費の蓄えをどうするのか」「学校や友人関係に問題はないだろうか」など、心配に限りはありません。そして、家庭ではこれら全てを他人にゆだねられず、その都度の決断を自分でしてゆかねばなりません。

先にコラムで紹介されていた家庭は、夫婦はとても円満とのことですから、妻は夫を信頼し、夫は妻を信頼しているからこそ、成り立つのでしょう。家庭のことをまかせっきりにしている夫と言っても、無関心を装うのではなく、奥さんの決めたことは喜んで受け入れ、いざ問題がおきれば、きっと相談にのってくれる関係であると想像されます。そんな男性であれば、奥さんの気持ちや大変さもしっかり理解し、「お前のせいだ」などと暴言もはかないでしょうね。

信頼があるからこそ、決断も任せられるし、結果も受け入れられる…だからこそ、自分の決断する場面を減らすことができるのですから。

そして、もう一つ考えさせられたのは、”支配欲の抑制”についてです。

私達は、色々な種類の欲望を持っていますが、その内の一つが支配欲です。

「これはあなたに任せるね」

家庭では、職場のように責任範囲が明確ではありません。ですから、役割分担は自発的に決めてゆかねばなりません。実は、隠れた支配欲が強いと”任せる”ことがなかなかできず、反対に自分が抱え込んでしまうようになってしまいます。分かりにくいケースでは、”お世話”している理由が、支配欲による場合もあるほどです。

意志の力の使いどころは、抑制の場面にもあります。欲望は、人間であれば当然持っていなければならないものですが、それが自分を不幸にしたり、周りの人を束縛したりするネガティブな類のものであれば、できるだけコントロール下においた方がいいですよね。

ヨーガは、ネガティブな思考の抑制のマネージメントにも貢献する

心身の健全性を基にしたヨーガの観点からいえば、「このような決断の仕方が正しい」というものは、はっきりとは無いと思います。しかし、周りとの信頼関係を築くことや自身の支配欲の抑制にかんして、注意を払ってゆくことはヨーガの世界で大切にされていることですし、このような態度が、実は、間接的に決断の力をマネージメントしてゆくことにもなると思います。加えて、肉体の疲労などを蓄積させないことも、もちろん大切な所でしょうね。

そして、ヨーガ哲学は、そもそもの世界の理(ことわり)も教えます。「選びとる」という行為には、”楽しみ”も、”苦痛”もあります。それは、”対立した二極(ドヴァンドヴァ)”であり、この世界の性質です。そして、しっかり決断をし、行動しても、それが、かならず良い結果を生むという約束は、されることもありません。結果は、自分の手には、そもそも無いのです。ですが、人間は、何かを決め、行為をしなければ生きてゆけません。そして、結果は受け止めてゆくしかない生き物です。これも、ヨーガ哲学で学ぶ、行為と結果の理(ことわり)です。

伝統的なヨーガは、そのような人間や世界の理といった根本的な束縛からの解放を目指したものです。それを受けて、心身の健全性を培う現代のヨーガでは、あらわれる心の動き、隠された心の動き、そして、この世界の理(ことわり)や自分の許容力など、トータルに理解し、うまく取り扱っていくことをテーマにしています。

決断のエネルギーから考えることは、過剰な選択肢が、人を悩ませ、思考の放棄をも生んでしまうものだからこそ、その選択肢の整理をするべきで、実のところ、そのマネージメントは、”信頼や支配欲の抑制”によるところが大きいのですね。

私達の人生には、色々な問題が絡みあっていますし、その解決に端的なものはありません。ヨーガは、こうした複雑な人間の問題を統合的にアプローチしているからこそ、何千年もの月日を経ても継承されたのでしょう。

ヨーガの実践や哲学を学ぶことで、スッキリした気分でいられるのは、本当にありがたいですね。

ヨーガの理論・哲学を学ぶインストラクター養成コースが来年2019年も予定しています。
(日程が決まりしだいヨーガスクエアディーバHPトップページでお知らせします。)
ストレスマネジメント講座にたずさわる方、ストレスをなんとかしたい、インストラクター希望でない方もヨーガを深めて自分を知るチャンスです。もちろんインストラクター希望の方、すでに教えている方も、さらに磨きがかかるコースです。

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”存在”の素晴らしさ、喜び、愛 ~ヨーガ哲学&心理学~


 「ヨーガをもっと深く知ってみたい」…そんな声にお応えするために企画したヨーガスタディ、ベーシックコースも、無事に第一期を終えることができました。 全5回のショートコースに、奥深いヨーガの知識をどれだけまとめられるだろうか…、 始める前には、多々、不安もありましたが、ご参加頂いたみなさんが熱心に耳を傾けてくださったおかげで、そんな思いも一掃され、内容に集中して取り組むことができました。

 今、振り返ってみれば、“いたらない点はたくさんあったけれど、これまでのヨーガ経験に基づいて、地に足をつけ、丁寧にお伝えできたのではないか…”と、ひとまず安堵しています。

 みなさん、本当にありがとうございました。 

 

 

 さて、このヨーガ スタディ、ベーシック コース第二期の開催を前に、さらに広く、心の勉強を深めようと、岸見一郎氏著の「嫌われる勇気」を読みなおしてみました。

  ご承知の通り、この本は、アドラ―心理学を、日本に広く知らしめたものです。私たちは、心理学の専門家ではありませんが、ヨーガを心身のセラピーに応用しようと取り組んでいる者にとっては、その内容は、とても勉強になります。

 人は、どんな時でも自らの手で行動の選択を決められる !

 たとえ、つらく苦い記憶や運命に束縛されている時でも、フレッシュなスタート地点に立つことができる!

 この本からは、そんな力強いメッセージを感じます。


 「嫌われる勇気」の著者である岸見氏は、ご自身が昔、心筋梗塞で入院された時、何もできずにベッドで横になるだけの日々を送り続けるうち、次第に「自分には、生きる価値がない」と思い詰めてしまったことを、吐露されています。 

「自分は、何も役に立てない、どうぜ迷惑をかけるばかりだし、誰からも必要とされないんじゃないか」

 このような気持ちばかりが心に浮かび、自分を責めてしまったことは、きっと誰しも経験があるのではないかと思います。

 自分の存在価値が大きく揺らいでしまった時…、その苦しみは言葉にならないほど辛いものです。 

 「自分の気持ちや考え方は、全部間違っている。どうせ自分は、思慮がたりないんだ…」 

 こんな否定的で攻撃的な思いは、心を暗黒の闇に引きずり、重くおさえつけます。手や足は震え、声を出すこともできず、胸はつまり、息もできないほどに… 

 しかし、岸見氏は、否定的な心の支配を打ち破り、「もし、倒れて入院してしまったのが自分ではなく、家族や友人なら、私は見舞いに駆けつけ、生きていてくれたことを喜ぶはずだ。ならば、自分についても同じように考えられるではないか」と思い直したそうです。 

 たとえ否定的な状態に陥っても、客観的な考察を起こし、さらに“自分の立場が逆だったら”と置き換えて、苦悩のスパイラルから脱出する…、生きる術(すべ)の知性を磨くというのは、こういうことだ…とつくづく感じます。 

 そして、岸見氏が綴ってくださった「幸、不幸の選択は、自分の思考による」という原理は、勿論、ヨーガ・セラピーにおいても、とても重要な点として語られるものです。

  ヨーガでは、まず、「思考とは、心の波立ち(=チッタ ブルッティ)である」と説き、ヨーガの修行目標は、その心の波立ちを止滅させることであると、聖典ヨーガ スートラは、説いています。

  また、その思考の波立ちは、まず“自分に心地よいもの”、と、“自分に心地よくないもの”つまり、“幸福な気分にさせるもの”、と、“不幸な気分にさせるもの”、のように大きく分ければ二種類あるとしています。 

こうしたヨーガ哲学に基づいて、ヨーガセラピーでは、心やその中で起きる思いや感情を自分自身とは考えず、”影響を起こす波立ち”と観ることで、自分とその思考との間にしっかりとした距離を置き、客観的分析を可能にしてゆきます。

 「まわりに迷惑ばかりかける自分、誰の役にも立っていない自分」=「それは、価値が無い」

 この“価値が無い”という決めつけが、不幸な思いへ至らしめてゆくのですが、実は、これも、心の中に起きた思考の波(チッタ ブルッティ)の一つにすぎません。

 そして、「価値が無い」という思考の波を起こしてしまったのも、「迷惑をかける人は、嫌われる…」という、“思い込み”です。このような思い込みは、目に見えない、実感しづらい波立ちですが、心の中で静かに、いつも揺れ動いているものです。そして、その思い込みの揺れ動きからさらに波だった、恐怖や不安は、意識すればするほど、大きく激しくなってしまい、自分の存在を脅かすほど揺れ動くのです。

 さて、その思考の波立ちを起こさせた”思いこみ”について、それを言語化すれば、「生産性、利便性、ギブアンドテイク…といった、社会生活の中の表面的な交流の一面を、あまりにも重視した思い」といえるでしょう。

 振り返ってみればこれは、「これまで、自分と周りとの交流を成り立たせていた、ある一面にすぎないもの」であったはずなのですが、自分自身が苦境に立った時には、心に混乱が生じ、あたかも唯一の価値観のようになってしまうのでしょうし、そのさらに奥深くには、「嫌われたくない」という自己存在への本能的防衛があるからかも知れません。 

 (「嫌われる勇気」という本のタイトルから察すれば、人は、あまりにも安易に、「こうすると嫌われてしまうのでは…」と思いこんでしまっている傾向があるので、その結論づけから離れた上で、行動の選択をすべきである…と教えてくださっているのではないでしょうか。) 

 そして、逆に、「自分の大事な人が生きてくれさえすれば…」=「安堵し喜ぶだろう」という思考ですが、もちろん、これもヨーガで言えば、心に湧き上がる、思考の波(チッタ ブルッティ)にすぎません。 

 しかし、この波立ちは、“愛しい人への愛情から湧き上がる”、慈愛に満ちた優しい波立ちです。

 先の「嫌われるのは嫌だ…」という思いが、心地よく社会で生きていくテクニックに関する類の思考であるならば、「あなたが存在してくれるだけで、私は幸せである。」という思いは、命、存在に関する愛が基づいたものです。

 ヨーガセラピーでは、人間五蔵説を用いて、分析をしますが、「嫌われない生き方」とは、理知鞘という「知恵」のレベルであり、「存在そのものが素晴らしい」という思いは、歓喜鞘という「愛」のレベルであり、智慧よりもさらに繊細かつ根源的なものと説明されています。

しかし、このような分析はできても、いざ実際に自分の心に変革をもたらそうとすれば、少なからずの痛みを伴うものでしょう。ヨーガの実践は、意志の力が必要だとされる理由もここにあります。その意志の力とは、自分を解放へと導くときに生じる心の痛みに、なびかない力です。

 心地よい波立ち、あるいは、心地悪い波立ちを起こしまう、知らず知らずのうちに結論づけてしまった価値観に気づくのは、簡単なことではありませんし、客観視や言語化が可能でなければ、その内容を吟味することは不可能でしょう。

 また、不幸の波立ちの連鎖を起こしてしまう価値観に気づいたとしても、それに流されず、フレッシュな気持ちで、納得のゆく行動の選択をすることは、実際には、苦しいものです。

ヨーガでは、これを、「放棄の実践」として説き、苦い思いはあっても、成長のためには大切な教えであるとし、説き続けています。岸見氏の著書から学ぶべき放棄とは、「自分を束縛してしまっている価値観、束縛しようとする思考」を捨て去ることでもあると思いますし、これを実践することは、ヨーガとまったく同じですよね。

 ヨーガを実践した先人たちは、「焦らず、諦めず、そして、放棄すること」を、いつもキーワードにして、邁進するよう勇気づけてくれます。そして、放棄する対象とは、自分を束縛してしまうような思考であり、それは非常に見つけにくく、見つけたとしてもすぐには切り崩すことが難しい類のものです。 心に関することは、一朝一夕ではなく、じっくりと取り組むべきものなのですね。

 私たちも、焦らず、力を抜いて意識化をおろそかにせず、そして、恐れず、日々の生活の中にヨーガを活かしていければと思います。

 次回のインストラクター養成 ベーシック コースでも、皆さんと、こんな風にヨーガ哲学を学ぶことができればと願っています。ありがとうございました。

~神戸元町三宮ヨガスタジオ ヨーガスクエア・ディーバ~

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