私たちは既に十分な存在なのです。

ヒマラヤの夜明け
私たちは、誰もが悲しみや苦しみから解放されたいと願い、決して終わることのない幸せを手に
入れたいと願っています。
では、その悲しみから解放されるためには、何かを手にいれなければならないのでしょうか?
私たちに足りないものがあるのでしょうか。

ヴェーダンタ哲学の骨格となる教えの中では、私たち人間は生死を越えた存在で、
完全なるものであり、存在と純粋意識と歓喜の性質そのものであると説かれています。
人間は、神様の御心のままに造りだされました。ですから、人間の内部には、本質的に
神性である完全なる原理、性質、御力、美しさ、全能性、崇高性、純粋性とよばれるものが
具えられているのです。
しかし、私たちは、心や身体のとりことなり、不完全なあらゆる体験から、不安、痛み、
苦しみ、心配、執着、恐れを生み出しているのです。
そして、自分には限りがあり、不充分であるという思い込み、自分には何かが足りないと
思う、その欠如感がすべての問題なのです。
自分が不十分であるという思い込み、限られた存在であるという欠如感が原因となり、
自己の存在価値が見出せなくなり、絶望感を感じてしまう人も多くいます。

自分が不十分であるという欠如感を無くすことが、幸せへと到る道なのです。
その為には、ヴェーダンタ哲学の教えである神性を意識し「私たちは既に十分な存在である」
ということを知ることなのです。
欠如感を埋めるために、何かを手に入れるのではなく、その事を知り、その神性を絶えず意識し
ながら行動していくことが大切なのです。

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