カルマ・ヨーガの真髄

ブッタガヤの寺院
聖典「バガヴァッド・ギーター」第二章47節には、カルマ・ヨーガの根本理念が説かれています。
「汝の能力とは 行為することだけにあり、行為の結果を要求することにはない。従って行為の
結果を動機として行為してはならない。 同時に無為に捉われてもならない。」

私達は、会社に勤めたり、家事を行ったり、学校で学んだりと、それぞれの立場で行為して
いかなければなりません。 一瞬たりとも行為をしないでいられる人はいませんよね。
そして・・・「何かを手に入れなければならない。」「何事かを獲得せねばならない。」と,
結果についてどうしても考えてしまうものです。
しかし、バガヴァッド・ギーターの教えによると、何かを行為するときに、期待や欲望を持ってはいけない
のかと思われる方も多いと思います。

しかし、期待したり、欲望を持って仕事などを行ってはいけないという事を、聖典が説いている
のではありません。
その行為の動機が大切であるということを伝えようとしているのです。 その行為に向かう心理的
態度と心根が一番に重要なのです。

しっかりとした心根があると、その行為の結果が、自分の思う結果でなくても、それほど心が乱される
ことがなく、次の行為へと移ることができます。
しかし、その動機が、利己的であり、心根が悪ければ、失敗すれば意気消沈し、成功すれば得意に思い
ます。このような状態では、いつまでも心に調和と平和さを保てません。

正しい行為の仕方についての、インドでの例え話があります。
ある3人の男が、寺院の建設のために石を削っています。 そこで、その3人に、どのような
気持ちで、どのような動機で働いているのかを質問しました。
一人目の男は、「この仕事は、賃金も安く、仕事もキツイです。」と不満を述べました。
二人目の男は、「家族の生活費を稼ぐためです。」と答えました。
三人目の男は、「寺院が建つ事に希望を持ち、楽しみながら石を削っています。今では、石を打つ
        音も神様へ通じる音、まるで音楽のように心に響きます。」と答えました。
それでは、ここで三人の男の心理的態度を分析してみましょう・・・
一人目の男は・・・苦しみながら行為をしています。行為に束縛されています。
二人目の男は・・・家族のために働いているのですが、その仕事に対する自覚があまり感じられません。
一方、三人目の男は、行為の背後に智慧が存在し、その行為の背後に神様への自覚が感じとれます。自分が行為者であるという思いもありません。
これが、まさにカルマ・ヨーガの真髄なのです。

結果への執着心が無くなると、行為に束縛されず心は冷静で安定した状態が保てます。
そうすることで、仕事に注意力を集中させることができるようになり、忍耐強くあれば、正しい結果
の数々は、自然に付き従ってくるということなのです。

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