永遠不滅の光輝く真我

蓮の花 2
古代インドの聖典には、私達は永遠不滅の真我であると記されています。
肉体は、いずれは消滅するが、真我は不滅である・・・。

バガヴァッド・ギーター、ヴェーダ聖典の勉強会には何度も参加し、心の記憶、知識として
あるのですが、実際に肉親や親しい友人の死に直面させられると、自分の無智さに気づきます。
その魂を永遠不滅の魂(真我)とは見れずに、喪失感と深い悲しみに包まれてしまいます・・・。
その原因は、日頃から、肉体のとりこになり、食べること、飲むことなどの感覚器官を満足させる
ことに夢中になり、多くの楽しみを共に味わって生きてきた肉体に対する執着なのでしょうか・・・。
そのような執着心により、深い悲しみに包まれたとき、古代インドの聖典に記されている聖句は、
霊性高く、品位に優れ、生気や活力を再び湧き上がらせてくれます。

バガヴァッド・ギーター 第2章 20節に永遠不滅の真我についての聖句があります。
 真我は決して生まれず、死ぬこともない。真我は生じたこともなく、
また存在しなくなることもない。不生、常住、永遠であり、太古より存在する。
肉体が殺されても、真我は殺されることはない

私達は、肉体の死は真の自分自身の死と考えて、死を恐れるのです。
生と死の恐怖、はかない快楽のために失ったこれまでの貴重な人生、これから行くべき未知の世界など
について考えれば、考えるほど恐怖は増すのである。
しかし、自分の意思と感覚器官の働きをコントロールして、世俗の快楽がはかないものであることを認識
し、真我を自覚している賢者は・・・、例えば、雲の上に太陽は常に輝いていることを知っている。
太陽は、雲に隠れて見えないが、太陽自身はなんら変わることなく輝いている。
永久に空中にあって、光り輝いているのであるということをよく知っているのである。

私達は、永遠不滅の光輝く真我なのです・・・
無智さは恐怖の原因です。 その無智さを消失させるためにも聖典読誦により、真の智慧を自分自身の
ものとしていきたいですね。