何故、ヨーガ修行が必要なのでしょうか?

アルナ ラリタ両氏
伝統的なラージャ・ヨーガ法を学ぶ人のための聖名拝受式が、日本ヨーガ・ニケタン各支部
で行われました。
日本ヨーガ・ニケタンは、聖地ティルタプリの地におられた聖師アートマナンダ大師様と
スワミ・ヨーゲシュワラナンダ大師様からの伝統的ラージャ・ヨーガの秘伝を継承しています。
こうした伝統的なラージャ・ヨーガの伝統/法統に入るには、その資格を持った導師が執行する
入門式に参加して聖名とグル・マントラ/真言拝受に与る必要があります。
そこで、木村慧心先生と、インドからお迎えした兄弟子であるアルナ・ラリタ両師により、
聖名拝受式が執行されました。
上の写真は、木村慧心先生の兄弟子であるアルナ・ラリタ両師です。 愛に溢れた笑顔に本当に
癒されました。 安心感と心休まる優しさに包まれた中での聖名拝受式でした。
夜には、瞑想会が行われ、その中で、ヨーガ修行の必要性についてのお話がありましたので、
一部をご紹介させていただきます。(東京支部瞑想会にて)

私達は、幼児期を過ごし、その後、学生生活では社会へ出て働くための教育を受けながら、成長
していくわけです。 これらは、外の世界との関係における教育となります。
しかし、外の関係である粗雑な次元の勉強だけでは、人生は完成されないわけです。

「この世における人生とは何なのか?」「そこにおける行動とは何なのか?」
「大いなる神様への献身とはどういうことなのか?」
「この世における智慧とはどういうものなのか?」

各ヨーガに於ける智慧を獲得していくことが、人生を完全なものにしていく道となるのです。
こうした技法を身につけて、心を安定させていくためには、自分一人の力では無理なわけです
から、そこに私達を導く導師様の存在が必要となってくるのです。
こうした関係を作ることが、聖名拝受式に挑んだ大きな理由でもあります。
こうした導師様や、大いなる神様との宗教的な関係こそが、自分自身の中に非常に強い安定した
宗教的な基盤を見い出していける基礎となるのです。
こうした宗教的な基礎を強化することは、私達の住んでいるインドと日本との距離を越えて、
瞬時に深く結びつくこともできるのです。
宗教的な時間を持つことこそが、やがては私達が ”自分は孤独である” ”孤立している”
”不安である”とか そうした自己存在が孤立しているという思いを越えて、大きな調和の世界
へと私達を導いてくれるのであります。
こうして、私達が、日々の宗教的な訓練を積んでいくことで、心の奥深くから現れ出てくる本当の
自分、そして人生の意味を深く悟ることも可能になってくるのです。

ご講話の後に、30分間の瞑想がありました。
「私達の持っている過去の記憶、潜在している記憶の中で、いかなるものが、私達を動かすのか、
いかなる記憶が私達に対して心を乱れさせるのか?こうした記憶の潜在先を静かに思い出して
みてください。」 という瞑想の題でした。
過去に引きずられない。過去にとらわれないこと。 人間は、過去の記憶に引きずられやすく、
その為に心が波立つのです。そのままでは、現在、今の瞬間が精一杯生きれなくなります。
一度、皆様も、静かに座して瞑想しながら、自分の心の整理をしてみませんか?