私達は、時折、どうしたわけか周囲から理解してもらえない、つらい時を経験することがあります。息がつまるそのような思いは、長い間、自分の心を束縛してしまうものです。
そして、そのネガティブな状態が長く続けば、心も身体も健康を損なってしまいます。
そんなつらい状況の中だからこそ、繊細なあなたは、少しでも前向きに生きようと考え、自分の幸せのため、成長のために、“私は、どうしてゆけばよいだろうか?”…、と、真摯に思いをめぐらせることでしょう。
そんな時、ふと手にした本が助けを差し伸べてくれることがあります。例えば、ノートルダム清心学園理事長である渡辺和子さんが書かれた、「置かれた場所で咲きなさい Bloom where God has planted you」も、その一つ!ミリオンセラーになったこの本に、きっと多くの読者が疲れた心を癒されたことでしょう。
「置かれた場所で咲きなさい Bloom where God has planted you」
その言葉は、決して厳しく苦しい修業のような生活態度を強いているのではありません。
“今のあなたのいるその場所こそ、あなたの居場所であり、あせらずとも自分らしく生き続けていく時、必ずやそこに、私を見守っていてくださる方がいる…“大いなる愛の光が、つらい気持ちで苦しんでいる私をいつも見守り、照らしてくれていることに気づいた瞬間、孤独で縛られた薄暗い心に、安堵の灯がともされます。
寒い冬を耐えしのぎながらもひっそりと美しく咲く“寒中の花”のように、あるいは、今は咲けなくとも、根を下へ下へと降ろし、いつか咲ける日がくるその時を待つこと…、
それは、間違えなく私達が、賢く生きる秘訣です。
そして、私達の知性にその言葉を深く理解させる魔法の力は、やはり、私よりももっと大きな存在が見守ってくれているのを気づくことでしょう。
これは、「置かれた場所で咲きなさい」の英題“Bloom where God has planted you”の“God”に着目すれば、良くおわかり頂けると思います。
同時にこの本には、「結果がよかった時は、人の功績に。悪かった時は、自分が悪者になる。」 ということも書かれています。
これは、周りの人への感謝と共に、自分自身に責任を持つことですが、それはやみくもに自分の価値を下げ、力んで頑張ることを意味してはいません。
大いなる存在を信頼した時、そこに自ずから希望が生まれるからこそ、真におおらかな謙虚さを持つための、光り輝くメッセージになるのでしょう。
ヨーガの経典や神話も、全てこれに同じです。最高の解放に向かうため、ヨーガスートラには、禁戒(ヤマ)をまず掲げます。それは、非暴力、正直、不盗、欲望の抑制、貪らない等の戒律なのですが、そもそも神様への信仰なくては、自我も弱まることはなく、中途半端な結果に終わってしまいます。
渡辺先生のおっしゃるとおり、“私たちの時間の使い方は、いのちの使い方”です。
それは、丁寧に謙虚であることに同じです。
“神を信じ、自分のすべきことをしながら、結果のすべてを授かり、謙虚に受けとめる自分でありたい”
置かれた場所で咲くためには、カルマヨーガにも等しいこの言葉を実践することが一番の近道です!本来のヨーガに親しめる心があれば、大いなる存在への信頼も大きくなりますし、心を客観的に捉えることにも余裕をもって行えるようになります。
さあ!あなたの心に希望の花を咲かせましょう。混沌とした心にたくさんの肯定的な思いが芽生えてくるその時を、ヨーガを通じて、体感してみてください。
~ 神戸元町三宮ヨガ ヨーガスクエア・ディーバ ~
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