癒しの心理講座」カテゴリーアーカイブ

神戸の元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

「延長のメカニズム」について語ることで、投影を生じさせている、つまり、影を生み出しているものの正体(原初のブロック)が明かされればと思います。

light

「延長のメカニズム」について

これも端的に語るならば、「神様」がご自身を延長された「光」である「真の自己」たる「光」が、その輝きを世界へとそのまま延長した「光」が、「原初のブロック」を素通りすることで影が投影することなく反映されたものを知覚し反応しているということが「延長のメカニズム」ということになります。

この「延長のメカニズム」について、日本ヴェーダンタ協会から出版されているスワミ・ヴィヴェーカナンダ講演集となる『わが師』で、師であるラーマ・クリシュナ師との出会いについて触れている[わが師]という表題の中から以下に引用します。

今日までずっと、他の人々に問い続けてきた質問を発しました。

「あなたは神をお信じになりますか?」

「ああ、信じる」とかれは答えました。

「それを証明することがおできになりますか?」

「ああ」

「どのようにして?」

「だって私は、ここでお前を見るのと同じようにかれを見るのだもの、ただ、もっとずっとはっきりと見るのだよ」

 

今現在の私の考えでは、「神様」が世界に顕現されたとして見た、もしくは、知覚した、ということではない、と思いますが

この「延長のメカニズム」という概念をこのことを考えるならば、自らの真の自己を通じてほぼ「原初のブロック」を素通りさせた神様の象徴となる光の輝きを、スワミとして出家する以前のナレーンドラナートという学生へと延長することで、ありありとした神様を反映された光の象徴をはっきりと見たと、おっしゃっているのだと思われます。

ここで、ラーマ・クリシュナ師の深遠なる哲学を語ることはできませんが、ごく一部の主要なお考えの放棄にだけ焦点を当てるならば

「私の」や「私であるもの」という自我意識を捨て去ったことからすれば、「原初のブロック」とはこの自我意識の問題として残存させてしまっている記憶との結びつきとなっていて、それを外部世界というスクリーンに投影してその過去の問題を解決しようと、その影法師と関わって問題を解決することになっていることが言えるでしょう。

おぼろげながらも、影を生み出しているものを癒すことで 「投影のメカニズム」から「延長のメカニズム」へと移行できる可能性について、ラーマ・クリシュナ師の伝記からその一面を垣間見ていただければと思います。

→次回の「なぜ、投影による解決に執着するのか?」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その8)~

神戸の元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

さあ、今回は、簡潔ながらも、投影とはどのようなものであるのか?そのメカニズムとはどのようになっているのか、ほんの少しですが、核心的なものについて触れていきたいと思います。

shadow111

「投影のメカニズム」について

たとえば、「真の自己」たる私たちは、誰もが「神様」が創造された、もしくは、「神様」がご自身を延長された「光」だとします。

しかし、どういうわけか、「神様」を超えるものがあるかも?という、ほんの些細な願望を欲求として想像してみてください。それによって想念が生じたと信じることで、「神様」を拒否したとする、その象徴となる「原初のブロック」を作り出した…
わかりやすく神話風にて表現してみます。

この「原初のブロック」から生じさせた変形バージョンが今回のテーマとなっている「結婚に対するブロック」となっているのですが…

話しをもとに戻しますと

「投影のメカニズム」をごく端的に言うならば

「真の自己」たる光がこの「原初のブロック」にあたった影が投影となっていて、その影法師を知覚し反応しているということが「投影のメカニズム」ということになります。

そして、この「原初のブロック」は時間を生み出す基盤ともなっているので、時間軸を通じてのさまざまな過去がその形態と解釈とにもとづき、未来という長い長い影法師を知覚していると信じつつ現実へと伸ばしていきます。

ですので、最近、流行しているポケモンGOで用いられている仮想現実を実際の現実に上書きした現実として知覚させ、その知覚にふさわしい反応をごく自動的に余儀なくされているというような現状であると、抵抗はあるかもしれませんが、思ってみてください。

わかりやすい例ですと

酒乱で平然として怒りにまかせて母親(女性)を殴る父親に育てられた娘さんは、すべての女性がとは言いませんが、そのほとんどにおいては、男性と親密な関係という境界線を超えるとその男性に酒乱で暴力をふるう父親を仮想現実として投影してしまいがちとなります。

その投影によって、現実の男性ではなく、投影された過去の未解決な問題を相手に映し出し、過去の父親のかわりにその問題を相手に解決してもらおうとする、もしくは、相手と解決を図ろうとして関わろうとすることが二次的な問題として現れるのがその特長だと言えますし

また

さまざまなタイプのクライアントとの経験上言えることは、そのような父親との関係に表面意識上は断固として拒否しつつも、潜在的には慣れ親しんだ関係となっている、つまり、親和感を心に抱いているために、そのような男性を嗅ぎつけてしまうと言えるのです。

→次回の投影を癒す「延長のメカニズム」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その7)~

神戸元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

「投影」についてはいろいろと書くことができるのですが、すでに知られている「鏡の法則」としてのことではなく。せっかく、伝統的なヨーガの行法を長年お伝えしている【ヨーガスクエアーディーバ】のブログですので、心理講座の中に真理講座を統合させたものとして話しを進めさせていただきます。

touei1

「投影」について

理想的には「投影」とは何か?ということを学習することにとどまらず、
荒井由美さんが歌う『やさしさに包まれたなら』の歌詞にあるように

♪やさしさに包まれたなら きっと 目に映る すべてのことは メッセージ♪

人間関係で生じる、すべてのことが、隠された問題解決を癒すことへのメッセージとして見えるような、知覚の移行がなされるようなヒントになればと思っています。

まず、真理講座としての核心から切り込んでいきます。

この地上に存在する私たちの誰もが、自分の「真の自己(アートマン)」からも「神様(絶対者ブラーフマン)」からも離れて孤立してしまっていると感じていることから

他の人との距離が肉体を挟んで離れて見えること、自分は隔離されているとも感じています。

ひとたび自分が他の人と分離していると感じることにより、私たちは、その孤立、剥奪感や欠乏といった感覚の責任を、他の人に「投影」し、その人が私たちから何かを剥奪していると信じてしまいます。

このようにして私たちが感じる剥奪感が生じていると言えます。

この剥奪感とは、私が望んでいるもの/大切にしているもの/必要としているもの/私という存在そのもの、を他の誰かが私から剥奪しているんだという声明となっています。

「投影」とは、「私が最初に自分自身からそれを取り去った」当事者であるということ、
もしくはその事実を否認することで、外部に映し出される幻影だと言えます。

具体的に、私の子供の頃を例にするならば

私の結婚に対する信念は、“結婚当初はしばらく亭主関白でとても大切にされるけれども、突然、
立場が逆転し、男はゴミ扱いされてしまう”というものです。

この信念は、子供の頃に、何をするにしても「お父さん、お父さん」と優先され大事にされていたにもかかわらず、母親が仕事をもちはじめ稼ぐようになれば、今までは一番新鮮で美味しいものを食べていたのが残飯整理をするまでに落ちぶれてしまう、という体験から生じたものとなっていました。

この時に、小さい子供ながらに父親と母親の立場の逆転に関して絶望感を感じていました。

そして、この絶望感は、弟と喧嘩したときに「お前が悪い」とバットが折れるほどに父から叩かれたことはあったけれども、母とは何とか仲良く助け合いながらやっていって欲しいという願望が満たされずに傷つき、二度とこのような経験はしたくないと、防衛するための信念であったことも、抑圧し凍りついた絶望感が溶けての今現在の癒された心として見出すことを可能にできたのでした。

ここまでくれば、次に何をお話しするのかが見えてきたと思いますが

父親と母親を通じての自らの絶望体験の記憶が引きずられたまま、傷ついた願望を否定的な感情とともに凍りつかせ抑圧して否認しながら防衛することで、今現在の知覚を通り過ぎて未来への恐れに映し出されて見えてしまうことこそ「投影」となります。

当時の父親と母親との関係をこの「投影」によって今現在に再現させようとする働きが自らの顕在的な意志とは裏腹に生じることにより、私にとっては交際している女性との距離を遠ざけてしまう障害(ブロック)となっていたのでした。

また、「真の自己(アートマン)」そして「神様(絶対者ブラーフマン)」から分離していると信じていることから「自分には何かが欠けている」という「欠乏の信念」によって、常に、投影されないわけにはいかないという心の基本法則があり、自分で選んだという責任が相手に責任転嫁する、すなわち投影することにより、「私はこんなことを自分に対してやってはいない、やったのはお前だ」と自分はあくまでも被害者で相手を加害者にする、被害者/加害者という特別な関係にしてしまうのも「投影」がもたらすブロック(障害)となっています。

→次回の「投影のメカニズム」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その6)~

神戸の元町、三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

結婚に対するブロックとは結婚にまつわる信念であり、その信念は過去の幼児体験において絶望した悲しみを再び繰り返すことがないように傷つくことがないように守ろうとして身につけていたけれど

しかし、心の奥底に封印した記憶と一緒に、こうしたかったこうして欲しかったという願望をも幽閉されたままだということを、癒しのプロセスを通じて理解できたと仮定して話しを進めさせていただきます。

cross-kei

「犠牲のサイクル」について

今回は、「結婚へのブロックを癒す編」とのことなので、男女関係に焦点を当てて進めていきます。

抑圧された願望はいわゆる期待として隠された要求として男女関係に多く見られます。

しかし、相手に伝わることのない期待や要求の多くは伝わっていないのですから満たされるということがありませんので

「何であなたはわかってくれないの」と怒ってしまったことに見覚えがあるのではないでしょうか?

今は、書かれた文章を読んでいるので、客観的な視点ですので、とても身勝手な話しに思えますけれども

その怒りをぶつけられた相手は、なんで怒られているのかまったく身に覚えがないので途方に暮れる反応以外に術をしらないかもしれません。

その相手の反応からはじまるのを「犠牲」とここで呼ぶことにします。

なぜ「犠牲」と呼ぶかと言えば、自らの期待や要求を自分ではなく相手に満たしてもらうために、その前に相手を喜ばせて自分は喜べないことをする、つまり、自分は負けるけれども相手を勝たせるという意味からとなります。

この「犠牲」は、以下のように

隠された期待→その期待は満たされることがない→怒り→そんなに怒ることはないと反省する→自分の期待を満たさせるためにはもっと相手を喜ばせなければ→犠牲→隠された期待→こんなに私は頑張っているのに私の期待は満たされることがない→怒り→そんなに怒ることはない私の頑張りが足りないのかも….

このようにサイクル化することから「犠牲のサイクル」と呼んでいます。

書かれている文章を読んでいるだけですと、その期待や要求を相手に伝えれば済むことでは?と思われるかもしれませんが

絶望体験とともに抑圧した否定的な感情と当時の願望を防衛していること(心にトラウマという問題を抱えていること)で、なんとか相手に自分の要求を満たすために犠牲を試みつつ相手をコントロールしようとする心理作用がはたらくということですが

この「犠牲のサイクル」単体では結婚に対するブロックとなるということではなく、「結婚に対する信念」という防衛システムと組み合わされることによって、男女関係において親密になってから結婚へのステップの大きな壁となることから「絶望に隠された願望」に追加することでお話しさせていただきました。

「犠牲のサイクル」は、結婚後も「絶望に隠された願望」がいろいろな状況で親密感が深まることで浮上してくる癒しの機会として、え、これってもしかして「犠牲のサイクル」かも?ということは訪れると思われます。

心の中にトラウマとして問題を抱えていることで生じさせてしまっていることで「犠牲のサイクル」となるのですが、このことを日常生活の中で癒す機会と捉えるための心の鏡としての「投影」について次回はお話ししてみようと思います。

→次回の「投影」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その5)~

神戸三宮・元町から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

前回の結婚に対する信念を裏づけるような過去の体験について何か思い出せたでしょうか?

正直、ひとりでこの作業に取り組むには抵抗が多いということから、「赤信号みんなで渡れば恐くない」ではないですが、グループワークが効果的だったりしますが、過去の体験から結婚に対する信念が形成されていることに、思い当たる節があったとして話しを進めさせていただきます。

hoop

「絶望に隠された願望」について

結婚に対する信念が障害になっているのは、過去の両親との関わりの中での絶望した体験がもとになっていると言えると思います。

私の例で言えば、どうせ私も結婚しても父親のように母親に経済面で優位に立たれていいなりになってしまう、という絶望によってその絶望がまだ起きてもいない結婚生活という未来への恐れとなって、大きな壁として立ちはだかっていたのですが

結婚に関わる信念に限らず、信念の形成にあたっては、絶望体験からその当時の悲しみや悔しさなどの感情を凍りつかせ、男とは・女とは・仕事とは・お金とは・子供とは、こういうものだという人生脚本に結びつくような信念を決断していることが、自分の人生を曇りなき眼で調べれば、見出すことができると思います。

この絶望体験を、癒しのプロセスを通過して、あらためて、今現在の大人の観点で観るとき

癒されることによって凍らせた感情が溶解したことで、お父さんはこうであって欲しかったお母さんはこうであって欲しかった、とか、お父さんとお母さんにはこうして欲しかったこんな言い方で叱って欲しかったこんなふうに愛して欲しかった、という願望が心の奥底で幽閉されてられていることがわかります。

この隠された大きな願望が満たされなかったからこそ絶望体験として傷ついたのでしょうし、自分が望む形でのもしくは仕方での愛情表現として受け取れなかったからこそ、もう二度とこのようなことがないように自分を守るという目的としての信念(結婚に対するブロック)という防衛だったことにも気づけると思います。

しかし、信念によって自分を守るという目的は果たせているのか?

確かに再び絶望し自分が傷つくことを守っているかもしれないけれども、とーっても大切な最も望んでいた願望は隠されたまま、もしくは、心の中で絶望した記憶と一緒に幽閉されたままだということに、これも現在の大人の観点で癒しのプロセスを通じて理解することができるのです。

→次回の「犠牲のサイクル」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

 

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その4)~

神戸の三宮元町から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

前回の結婚に関して自分がどのような信念を抱いているのかを書き出してみたことを前提に話しを進めてみたいと思います。

とはいえ、読むだけでもかまいませんのでご参考ください。

bridal

「信念は過去の体験にもとづく?」

ここでご参考までに男性と女性の結婚の信念とその信念を築くに当たっての幼児体験をご紹介したいと思います。

ある男性の結婚の信念は、結婚は初めのうちは亭主関白だがしばらくすると立場が逆転し男はゴミ扱いされてしまう、というもので

この男性は、小さい子供のうちは、自営業だった父親の仕事が終わらないうちは夕食を食べさせてもらえないほどに亭主関白な家で育っていました。

しかし、その父親の仕事がうまくいかなくなり、母親が新規のビジネスを開始し、しばらくすると経済的な支えがほぼ母親の収入となってから、夕食は父親を待たずとも食べられることに生活は一変しました。

この経験から、男性にとって、夫婦関係をカマキリにたとえて、子供を産んだ後にメスに食べられてしまうオスのようなものだと、結婚生活をいつか女性にのみ込まれるものだとして、知らず知らずのうちに、潜在的に女性に対して恐れを心に抱くようになっていました。

ですので、結婚にこぎ着くどころか、女性との交際が長続きすることがなかったのです。

と言いますのは、交際が長くなるにつれて女性との関係は親密になり、親密になるほどに結婚の二文字が心に浮かび上がると同時に、結婚すればそのうちに天国のような立場が逆転し地獄の底まで落とされてしまうという恐怖心がもたげてくるからでした。

したがって、この男性は、この心に抱いた恐れを癒すまでは、自ら関係を壊すように仕向けて壊しては新しく付き合いを繰り返すことを雪国の車のわだちのように、タイヤが挟まったままの車のように進路が決まったかのような男女交際となっていました。

実は、このケースは、私なのですが、この恐れを癒して結婚し子供を四人授かりましたが、一つの問題が解決しても、次の癒しの機会と今でも続いてはおりますけれど、問題解決を外側に知覚するのではなく心の中の問題を知覚し癒せば、道は開けていきます。

次は、ある女性の信念で、彼女の結婚観は、女性は男性の奴隷となるべきであるというものでした。

彼女の父親は、現在でいうところのドメスティック・バイオレンスで、実の娘には手を出さないまでも母親には殴る蹴るの毎日だったようです。

ですので、子供の頃から同級生であっても誰でも男性とは話すことも目を合わせることもできないほどに、男性に対する恐怖心でいっぱいで交際どころか友達づきあいもできない状態だったのですが

不思議と私には男性を感じることはなく、グループワークでも個人セッションでも、女性に対してコミュニケーションをとるがごとくに関われたので、彼女の心の中の恐れそして痛みを伴う信念を癒すお手伝いができました。

それ以降、彼女の努力が実り、結婚の便りが私に感謝の手紙として届くことになりました。

以上の二つのケースを参考にして、自らの結婚に対する信念もしくは結婚観が過去のどのような体験にもとづいているのか?について、振り返ってみてください。

→次回の「絶望に隠された願望」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

 

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その3)~

神戸三宮元町から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

結婚に対する信念もしくは観念についてご一緒に考えていきましょう。

今回も、読むだけでなく自分の心の中の考えを書き出してみることでその考えがどのようなものかを見る機会となると思います。

beachwe

「結婚に対する信念」について

結婚とはどういうものかについてどこで学習しているのか?といえば

当たり前の話しですが、おもに両親同士の関わりから学んでいます。

例外的には、育ててくれた祖父母や親戚夫婦などということがあるでしょう。

この結婚とはというフレーム(枠組み)が信念のメガネとなり、そのメガネを通じての状況に対する知覚となるのですが

これが前回の「結婚へのブロック」を結婚に対する間違った考えによる「恐れ」とどのようにつながるのかについて論じる前に

今現在、どのような「結婚に対する信念」があるのか?その信念の背景にはどのような父親もしくは母親との関わりがあったのかについて考えてみて欲しいのです。

セミナー形式ならば、参加者同士がペアになって、どちらかがはじめに聞き役でもうひとりが話し役という役割となり、聞き役が「あなたの結婚に関する信念は何ですか?」もしくは「あなたにとって結婚とはどういうものですか?」と訊きそれに答えるものとして、潜在的な信念を浮かび上がらせたりします。

ここでは、その答えをリストアップしながら、自分が結婚に対して、どのような考えもしくは信念や観念、結婚はこうあるべきだとかこうあってはならないなどを書きだして書きだしてみながら、できましたら、その考えをもつきっかけとなる子供時代の出来事なども思い出してみてください。

→次回の「信念は過去の体験にもとづく?」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

 

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その2)~

神戸の三宮元町から歩いて通えるスタジオ【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

「結婚へのブロック」についてご一緒に考えていきましょう。

kabe

「結婚へのブロック」って何だろう?

結婚へのブロック?なに言ってるんだこの人は….

という声が聞こえてきそうですが

私もはじめてブロックという言葉を聞いたとき、そんなの自分の周りには“ろくな女がいない”これこそが結婚を妨げる障害(ブロック)だと言っていました。

でも、このような考えに私が固執していたならば、毎日が騒がしいながらも楽しい家内と四人の子供たちとの現在の生活はなかったと思います。

この講座で伝えたいことの重要な一つは

結婚をブロックしているのは、他ならぬ私だ!

というところからはじめることとなります。

しかし、ここでもうひとつ重要なことは

だからといって、私はなにも悪くはない!

そんな子に育てた両親が悪いのか?

いいえ、両親も社会も政治も何も悪くはありません!

えー、障害(ブロック)が悪くないなんてことがあり得ない….とお思いかもしれませんが

ここで、この「結婚へのブロック」を結婚に対する間違った考えによる「恐れの壁」と捉えてみていただきますでしょうか?

ここから癒しを受け取るために、「結婚」というキーワードの関して、どのようなイメージ(印象)をもっているのかをご自分自身で調べていただけたらと思います。

まず、ノートかA4サイズの紙の一番上に、「結婚とは」と題して、その下に箇条書きでご自分が結婚について心に抱いているイメージを思いつくままに書き出してみましょう。

肯定的なイメージ、否定的なイメージのどちらについても出たものに関してその都度分析することなくリストアップしてみてください。

たとえば

・結婚は、最初はルンルンでもそのうちに倦怠期が必ずやってくるものだ
・子供ができると妻からほおっておかれてしまう
・浮気されてしまうかも
・子供がいる内は二人三脚でも成人した後はゴミ扱いになる

のようなもの。ちょっと否定的なものばかりでしたが….

アンケートによれば

第一位 「安心」 結婚して夫婦関係を営むことでの安心感と自立が育まれる
第二位 「家族」 ゼロから新しく自分たちの家族を暖かいものとして築いていける
第三位 「幸せ」 愛する人とさまざまな幸せを共有できる喜びを感じられる

この他に「忍耐・我慢」 独りのときとは違う共同生活において互いに自制しながら金銭面や時間も忍耐や我慢があっての結婚生活となるが反面として互いの個性によって刺激となり成長できるもの

以上の、一般的なアンケートは、既婚者からすれば、正直、夢物語のように見えてはしまいますが、確かにそのような面があったりします、自由に思いつくままに、どんな印象があるのかについて書いてみて気づくこともあるのでやってみてください。

もしも、瞑想にて調べるならば、椅子に坐ってでもあぐらをかいてでも、背筋を伸ばして、目を閉じた後に鼻先の呼吸の出入りに注目し、次に、鼻先から頭の中心へと通る呼吸の道筋を意識化し、しばらくしてから、呼吸が向かう頭の中心に意識を集中させ、「私の結婚に対するイメージは何か?」「結婚についてどんなイメージを持っているんだろう?」と尋ねながら調べてみてください。

違うことに意識がそれてしまうようであるならば、もう一度、鼻先の呼吸の出入りからはじめて調べなおしてみてください。

→次回の「結婚に対する信念について」に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座 ~結婚へのブロックを癒す編(その1)~

はじめまして、神戸の三宮元町から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

私が、男女関係の問題を癒すセラピストだというお話しから井上先生より心理講座をブログにてぜひ書いて欲しいとのことで、はじめさせていただきます。

modiriat_bar_khod

まずは癒しについての概論から

概論となりますので、文章的には堅苦しい感じからはじまってしまいますけれども

ここをおさえておかないと何もはじまりませんので、第一回だけは長文にてよろしくお願いします。

癒しとは、私たちの幸せや豊かさを妨げている過去からの条件づけられた考え方や感情のパターンに気づき、その原因となっている子供の頃に抑圧した感情的な痛みを癒すこととなります。

そして、精神的な豊かさを人生において実感していくこと、または、自分らしさを表現していくこと、人間関係においてのバランスや調和を学んでいくことにもなります。

私たちの多くは、子供の頃の両親や家族との関わりを通して、自分とは何か?男性とは何か?女性とは何か?人生とは何か、社会とは何か?お金・仕事・セックスなどの多くの信念を、身近な環境に対処する、もしくは、対応する方法として、条件づけられたパターンを身につけていくようです。

どれほどに両親のあんなところだけは似たくないと拒絶してはみても、日々毎日に繰り返され無意識に身についた考え方の癖や行動、感情のパターンはぬぐい去れるものではないようだと言えます。

なぜならば、私たちの人格は、生まれて初めての人間関係である両親を通して築き、両親をモデルにして自らの反応によって積み重ねられて形成されるからとなります。

特に、両親の考え方の癖や感情のパターンは幼少期において、スポンジに吸い込まれるかのように吸収され、その記憶に無意識に支配されることを許可してしまいます。

supongi

そして、現在の人間関係において、男性とのコミュニケーションのパターンは父親との関係が反映され、女性とは母親との関係が反映されます。

具体的に言いますと、私たちは、社会において、上司(男性)に対しては父親を投影し、父親との過去の未解決な問題を癒すために障害となるような出来事を引き寄せる傾向が強くあり、その未解決な問題を浮かび上がらせることで解決しようとしているのですが

そういった問題に対処するために、私たちは、表面的で一見良好に見える関係でごまかすことや相手を支配すること支配されることに多くの時間を費やし、その結果うまくいかないという関係に陥ってしまうことが多々あるようです。

私たちは、いくら表面的に繕うとしていても、潜在的な過去の痛み(失敗感・不満足感・欠乏感)がある限り、困難な人間関係を呼び寄せてしまうことを見過ごしがちとなっています。

それは、様々な状況を使って、過去に乗り越えることを拒絶したことで感じきれなかった感情を感じることでの癒しの機会や、過去において身につけた考え方や信念を自分自身で訂正することを通して変化することを自らに教えるために引き起こしていることを避けて認めたくないようです。

誰も責めることなく、自らに何かを学ぶためにこの状況を引き起こしていることを認識し、自分の中に生じる感情や考え方を受容し認識したとき、癒しは自然に起き、そして過去において拒んでいた真実が今ここにおいて見えていきます。

ところが、私たちは、自分や誰かを責めることで、自分が癒され変化していくプロセスを通して幸福を受け取ることを嫌って避けているとも言えるのです。

私たちの根底にどのような考えがあるかと言いますと、自分が幸せを感じるためには、誰かが、もしくは、状況が自らの都合がいいように変わらなければならない、または、自分以外の誰かが変わる必要があるという考え(信念)があるからなのです。

その考え(信念)に基づいて、誰かを支配したり、誰かに支配されることで加害者や被害者の関係に陥り、自分をますます幸福から遠ざけてしまっているのです。

これは、幸福よりも自らの考え(信念)が正しいことの方が大切だとしているとも言えます。

癒しとは、自らが幸せを受け取る主人公として、現在の人間関係を見つめ、過去の感情的な痛みを癒し、間違って身につけた信念を訂正し、バランスのとれた人間関係を築いていけるプロセスとなり、そのプロセスは安全に癒す準備のできた記憶へと導き問題の解決となっていくのです。

→次回の「結婚へのブロック」って何だろう?に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA