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人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その7)~

神戸元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

「投影」についてはいろいろと書くことができるのですが、すでに知られている「鏡の法則」としてのことではなく。せっかく、伝統的なヨーガの行法を長年お伝えしている【ヨーガスクエアーディーバ】のブログですので、心理講座の中に真理講座を統合させたものとして話しを進めさせていただきます。

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「投影」について

理想的には「投影」とは何か?ということを学習することにとどまらず、
荒井由美さんが歌う『やさしさに包まれたなら』の歌詞にあるように

♪やさしさに包まれたなら きっと 目に映る すべてのことは メッセージ♪

人間関係で生じる、すべてのことが、隠された問題解決を癒すことへのメッセージとして見えるような、知覚の移行がなされるようなヒントになればと思っています。

まず、真理講座としての核心から切り込んでいきます。

この地上に存在する私たちの誰もが、自分の「真の自己(アートマン)」からも「神様(絶対者ブラーフマン)」からも離れて孤立してしまっていると感じていることから

他の人との距離が肉体を挟んで離れて見えること、自分は隔離されているとも感じています。

ひとたび自分が他の人と分離していると感じることにより、私たちは、その孤立、剥奪感や欠乏といった感覚の責任を、他の人に「投影」し、その人が私たちから何かを剥奪していると信じてしまいます。

このようにして私たちが感じる剥奪感が生じていると言えます。

この剥奪感とは、私が望んでいるもの/大切にしているもの/必要としているもの/私という存在そのもの、を他の誰かが私から剥奪しているんだという声明となっています。

「投影」とは、「私が最初に自分自身からそれを取り去った」当事者であるということ、
もしくはその事実を否認することで、外部に映し出される幻影だと言えます。

具体的に、私の子供の頃を例にするならば

私の結婚に対する信念は、“結婚当初はしばらく亭主関白でとても大切にされるけれども、突然、
立場が逆転し、男はゴミ扱いされてしまう”というものです。

この信念は、子供の頃に、何をするにしても「お父さん、お父さん」と優先され大事にされていたにもかかわらず、母親が仕事をもちはじめ稼ぐようになれば、今までは一番新鮮で美味しいものを食べていたのが残飯整理をするまでに落ちぶれてしまう、という体験から生じたものとなっていました。

この時に、小さい子供ながらに父親と母親の立場の逆転に関して絶望感を感じていました。

そして、この絶望感は、弟と喧嘩したときに「お前が悪い」とバットが折れるほどに父から叩かれたことはあったけれども、母とは何とか仲良く助け合いながらやっていって欲しいという願望が満たされずに傷つき、二度とこのような経験はしたくないと、防衛するための信念であったことも、抑圧し凍りついた絶望感が溶けての今現在の癒された心として見出すことを可能にできたのでした。

ここまでくれば、次に何をお話しするのかが見えてきたと思いますが

父親と母親を通じての自らの絶望体験の記憶が引きずられたまま、傷ついた願望を否定的な感情とともに凍りつかせ抑圧して否認しながら防衛することで、今現在の知覚を通り過ぎて未来への恐れに映し出されて見えてしまうことこそ「投影」となります。

当時の父親と母親との関係をこの「投影」によって今現在に再現させようとする働きが自らの顕在的な意志とは裏腹に生じることにより、私にとっては交際している女性との距離を遠ざけてしまう障害(ブロック)となっていたのでした。

また、「真の自己(アートマン)」そして「神様(絶対者ブラーフマン)」から分離していると信じていることから「自分には何かが欠けている」という「欠乏の信念」によって、常に、投影されないわけにはいかないという心の基本法則があり、自分で選んだという責任が相手に責任転嫁する、すなわち投影することにより、「私はこんなことを自分に対してやってはいない、やったのはお前だ」と自分はあくまでも被害者で相手を加害者にする、被害者/加害者という特別な関係にしてしまうのも「投影」がもたらすブロック(障害)となっています。

→次回の「投影のメカニズム」について、に続きます….

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