神戸三宮・元町から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。
前回の結婚に対する信念を裏づけるような過去の体験について何か思い出せたでしょうか?
正直、ひとりでこの作業に取り組むには抵抗が多いということから、「赤信号みんなで渡れば恐くない」ではないですが、グループワークが効果的だったりしますが、過去の体験から結婚に対する信念が形成されていることに、思い当たる節があったとして話しを進めさせていただきます。
「絶望に隠された願望」について
結婚に対する信念が障害になっているのは、過去の両親との関わりの中での絶望した体験がもとになっていると言えると思います。
私の例で言えば、どうせ私も結婚しても父親のように母親に経済面で優位に立たれていいなりになってしまう、という絶望によってその絶望がまだ起きてもいない結婚生活という未来への恐れとなって、大きな壁として立ちはだかっていたのですが
結婚に関わる信念に限らず、信念の形成にあたっては、絶望体験からその当時の悲しみや悔しさなどの感情を凍りつかせ、男とは・女とは・仕事とは・お金とは・子供とは、こういうものだという人生脚本に結びつくような信念を決断していることが、自分の人生を曇りなき眼で調べれば、見出すことができると思います。
この絶望体験を、癒しのプロセスを通過して、あらためて、今現在の大人の観点で観るとき
癒されることによって凍らせた感情が溶解したことで、お父さんはこうであって欲しかった、お母さんはこうであって欲しかった、とか、お父さんとお母さんにはこうして欲しかったこんな言い方で叱って欲しかった、こんなふうに愛して欲しかった、という願望が心の奥底で幽閉されてられていることがわかります。
この隠された大きな願望が満たされなかったからこそ絶望体験として傷ついたのでしょうし、自分が望む形でのもしくは仕方での愛情表現として受け取れなかったからこそ、もう二度とこのようなことがないように自分を守るという目的としての信念(結婚に対するブロック)という防衛だったことにも気づけると思います。
しかし、信念によって自分を守るという目的は果たせているのか?
確かに再び絶望し自分が傷つくことを守っているかもしれないけれども、とーっても大切な最も望んでいた願望は隠されたまま、もしくは、心の中で絶望した記憶と一緒に幽閉されたままだということに、これも現在の大人の観点で癒しのプロセスを通じて理解することができるのです。
→次回の「犠牲のサイクル」について、に続きます….
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