カテゴリー別アーカイブ: 癒しの心理講座

神戸の元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

「延長のメカニズム」について語ることで、投影を生じさせている、つまり、影を生み出しているものの正体(原初のブロック)が明かされればと思います。

light

「延長のメカニズム」について

これも端的に語るならば、「神様」がご自身を延長された「光」である「真の自己」たる「光」が、その輝きを世界へとそのまま延長した「光」が、「原初のブロック」を素通りすることで影が投影することなく反映されたものを知覚し反応しているということが「延長のメカニズム」ということになります。

この「延長のメカニズム」について、日本ヴェーダンタ協会から出版されているスワミ・ヴィヴェーカナンダ講演集となる『わが師』で、師であるラーマ・クリシュナ師との出会いについて触れている[わが師]という表題の中から以下に引用します。

今日までずっと、他の人々に問い続けてきた質問を発しました。

「あなたは神をお信じになりますか?」

「ああ、信じる」とかれは答えました。

「それを証明することがおできになりますか?」

「ああ」

「どのようにして?」

「だって私は、ここでお前を見るのと同じようにかれを見るのだもの、ただ、もっとずっとはっきりと見るのだよ」

 

今現在の私の考えでは、「神様」が世界に顕現されたとして見た、もしくは、知覚した、ということではない、と思いますが

この「延長のメカニズム」という概念をこのことを考えるならば、自らの真の自己を通じてほぼ「原初のブロック」を素通りさせた神様の象徴となる光の輝きを、スワミとして出家する以前のナレーンドラナートという学生へと延長することで、ありありとした神様を反映された光の象徴をはっきりと見たと、おっしゃっているのだと思われます。

ここで、ラーマ・クリシュナ師の深遠なる哲学を語ることはできませんが、ごく一部の主要なお考えの放棄にだけ焦点を当てるならば

「私の」や「私であるもの」という自我意識を捨て去ったことからすれば、「原初のブロック」とはこの自我意識の問題として残存させてしまっている記憶との結びつきとなっていて、それを外部世界というスクリーンに投影してその過去の問題を解決しようと、その影法師と関わって問題を解決することになっていることが言えるでしょう。

おぼろげながらも、影を生み出しているものを癒すことで 「投影のメカニズム」から「延長のメカニズム」へと移行できる可能性について、ラーマ・クリシュナ師の伝記からその一面を垣間見ていただければと思います。

→次回の「なぜ、投影による解決に執着するのか?」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その8)~

神戸の元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

さあ、今回は、簡潔ながらも、投影とはどのようなものであるのか?そのメカニズムとはどのようになっているのか、ほんの少しですが、核心的なものについて触れていきたいと思います。

shadow111

「投影のメカニズム」について

たとえば、「真の自己」たる私たちは、誰もが「神様」が創造された、もしくは、「神様」がご自身を延長された「光」だとします。

しかし、どういうわけか、「神様」を超えるものがあるかも?という、ほんの些細な願望を欲求として想像してみてください。それによって想念が生じたと信じることで、「神様」を拒否したとする、その象徴となる「原初のブロック」を作り出した…
わかりやすく神話風にて表現してみます。

この「原初のブロック」から生じさせた変形バージョンが今回のテーマとなっている「結婚に対するブロック」となっているのですが…

話しをもとに戻しますと

「投影のメカニズム」をごく端的に言うならば

「真の自己」たる光がこの「原初のブロック」にあたった影が投影となっていて、その影法師を知覚し反応しているということが「投影のメカニズム」ということになります。

そして、この「原初のブロック」は時間を生み出す基盤ともなっているので、時間軸を通じてのさまざまな過去がその形態と解釈とにもとづき、未来という長い長い影法師を知覚していると信じつつ現実へと伸ばしていきます。

ですので、最近、流行しているポケモンGOで用いられている仮想現実を実際の現実に上書きした現実として知覚させ、その知覚にふさわしい反応をごく自動的に余儀なくされているというような現状であると、抵抗はあるかもしれませんが、思ってみてください。

わかりやすい例ですと

酒乱で平然として怒りにまかせて母親(女性)を殴る父親に育てられた娘さんは、すべての女性がとは言いませんが、そのほとんどにおいては、男性と親密な関係という境界線を超えるとその男性に酒乱で暴力をふるう父親を仮想現実として投影してしまいがちとなります。

その投影によって、現実の男性ではなく、投影された過去の未解決な問題を相手に映し出し、過去の父親のかわりにその問題を相手に解決してもらおうとする、もしくは、相手と解決を図ろうとして関わろうとすることが二次的な問題として現れるのがその特長だと言えますし

また

さまざまなタイプのクライアントとの経験上言えることは、そのような父親との関係に表面意識上は断固として拒否しつつも、潜在的には慣れ親しんだ関係となっている、つまり、親和感を心に抱いているために、そのような男性を嗅ぎつけてしまうと言えるのです。

→次回の投影を癒す「延長のメカニズム」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その7)~

神戸元町三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

「投影」についてはいろいろと書くことができるのですが、すでに知られている「鏡の法則」としてのことではなく。せっかく、伝統的なヨーガの行法を長年お伝えしている【ヨーガスクエアーディーバ】のブログですので、心理講座の中に真理講座を統合させたものとして話しを進めさせていただきます。

touei1

「投影」について

理想的には「投影」とは何か?ということを学習することにとどまらず、
荒井由美さんが歌う『やさしさに包まれたなら』の歌詞にあるように

♪やさしさに包まれたなら きっと 目に映る すべてのことは メッセージ♪

人間関係で生じる、すべてのことが、隠された問題解決を癒すことへのメッセージとして見えるような、知覚の移行がなされるようなヒントになればと思っています。

まず、真理講座としての核心から切り込んでいきます。

この地上に存在する私たちの誰もが、自分の「真の自己(アートマン)」からも「神様(絶対者ブラーフマン)」からも離れて孤立してしまっていると感じていることから

他の人との距離が肉体を挟んで離れて見えること、自分は隔離されているとも感じています。

ひとたび自分が他の人と分離していると感じることにより、私たちは、その孤立、剥奪感や欠乏といった感覚の責任を、他の人に「投影」し、その人が私たちから何かを剥奪していると信じてしまいます。

このようにして私たちが感じる剥奪感が生じていると言えます。

この剥奪感とは、私が望んでいるもの/大切にしているもの/必要としているもの/私という存在そのもの、を他の誰かが私から剥奪しているんだという声明となっています。

「投影」とは、「私が最初に自分自身からそれを取り去った」当事者であるということ、
もしくはその事実を否認することで、外部に映し出される幻影だと言えます。

具体的に、私の子供の頃を例にするならば

私の結婚に対する信念は、“結婚当初はしばらく亭主関白でとても大切にされるけれども、突然、
立場が逆転し、男はゴミ扱いされてしまう”というものです。

この信念は、子供の頃に、何をするにしても「お父さん、お父さん」と優先され大事にされていたにもかかわらず、母親が仕事をもちはじめ稼ぐようになれば、今までは一番新鮮で美味しいものを食べていたのが残飯整理をするまでに落ちぶれてしまう、という体験から生じたものとなっていました。

この時に、小さい子供ながらに父親と母親の立場の逆転に関して絶望感を感じていました。

そして、この絶望感は、弟と喧嘩したときに「お前が悪い」とバットが折れるほどに父から叩かれたことはあったけれども、母とは何とか仲良く助け合いながらやっていって欲しいという願望が満たされずに傷つき、二度とこのような経験はしたくないと、防衛するための信念であったことも、抑圧し凍りついた絶望感が溶けての今現在の癒された心として見出すことを可能にできたのでした。

ここまでくれば、次に何をお話しするのかが見えてきたと思いますが

父親と母親を通じての自らの絶望体験の記憶が引きずられたまま、傷ついた願望を否定的な感情とともに凍りつかせ抑圧して否認しながら防衛することで、今現在の知覚を通り過ぎて未来への恐れに映し出されて見えてしまうことこそ「投影」となります。

当時の父親と母親との関係をこの「投影」によって今現在に再現させようとする働きが自らの顕在的な意志とは裏腹に生じることにより、私にとっては交際している女性との距離を遠ざけてしまう障害(ブロック)となっていたのでした。

また、「真の自己(アートマン)」そして「神様(絶対者ブラーフマン)」から分離していると信じていることから「自分には何かが欠けている」という「欠乏の信念」によって、常に、投影されないわけにはいかないという心の基本法則があり、自分で選んだという責任が相手に責任転嫁する、すなわち投影することにより、「私はこんなことを自分に対してやってはいない、やったのはお前だ」と自分はあくまでも被害者で相手を加害者にする、被害者/加害者という特別な関係にしてしまうのも「投影」がもたらすブロック(障害)となっています。

→次回の「投影のメカニズム」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その6)~

神戸の元町、三宮から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

結婚に対するブロックとは結婚にまつわる信念であり、その信念は過去の幼児体験において絶望した悲しみを再び繰り返すことがないように傷つくことがないように守ろうとして身につけていたけれど

しかし、心の奥底に封印した記憶と一緒に、こうしたかったこうして欲しかったという願望をも幽閉されたままだということを、癒しのプロセスを通じて理解できたと仮定して話しを進めさせていただきます。

cross-kei

「犠牲のサイクル」について

今回は、「結婚へのブロックを癒す編」とのことなので、男女関係に焦点を当てて進めていきます。

抑圧された願望はいわゆる期待として隠された要求として男女関係に多く見られます。

しかし、相手に伝わることのない期待や要求の多くは伝わっていないのですから満たされるということがありませんので

「何であなたはわかってくれないの」と怒ってしまったことに見覚えがあるのではないでしょうか?

今は、書かれた文章を読んでいるので、客観的な視点ですので、とても身勝手な話しに思えますけれども

その怒りをぶつけられた相手は、なんで怒られているのかまったく身に覚えがないので途方に暮れる反応以外に術をしらないかもしれません。

その相手の反応からはじまるのを「犠牲」とここで呼ぶことにします。

なぜ「犠牲」と呼ぶかと言えば、自らの期待や要求を自分ではなく相手に満たしてもらうために、その前に相手を喜ばせて自分は喜べないことをする、つまり、自分は負けるけれども相手を勝たせるという意味からとなります。

この「犠牲」は、以下のように

隠された期待→その期待は満たされることがない→怒り→そんなに怒ることはないと反省する→自分の期待を満たさせるためにはもっと相手を喜ばせなければ→犠牲→隠された期待→こんなに私は頑張っているのに私の期待は満たされることがない→怒り→そんなに怒ることはない私の頑張りが足りないのかも….

このようにサイクル化することから「犠牲のサイクル」と呼んでいます。

書かれている文章を読んでいるだけですと、その期待や要求を相手に伝えれば済むことでは?と思われるかもしれませんが

絶望体験とともに抑圧した否定的な感情と当時の願望を防衛していること(心にトラウマという問題を抱えていること)で、なんとか相手に自分の要求を満たすために犠牲を試みつつ相手をコントロールしようとする心理作用がはたらくということですが

この「犠牲のサイクル」単体では結婚に対するブロックとなるということではなく、「結婚に対する信念」という防衛システムと組み合わされることによって、男女関係において親密になってから結婚へのステップの大きな壁となることから「絶望に隠された願望」に追加することでお話しさせていただきました。

「犠牲のサイクル」は、結婚後も「絶望に隠された願望」がいろいろな状況で親密感が深まることで浮上してくる癒しの機会として、え、これってもしかして「犠牲のサイクル」かも?ということは訪れると思われます。

心の中にトラウマとして問題を抱えていることで生じさせてしまっていることで「犠牲のサイクル」となるのですが、このことを日常生活の中で癒す機会と捉えるための心の鏡としての「投影」について次回はお話ししてみようと思います。

→次回の「投影」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA

人間関係の癒しのための心理講座~結婚へのブロックを癒す編(その5)~

神戸三宮・元町から歩いて通える【ヨーガスクエア ディーバ】にて土曜日の夕方のクラスを担当しております谷畑昭一です。

前回の結婚に対する信念を裏づけるような過去の体験について何か思い出せたでしょうか?

正直、ひとりでこの作業に取り組むには抵抗が多いということから、「赤信号みんなで渡れば恐くない」ではないですが、グループワークが効果的だったりしますが、過去の体験から結婚に対する信念が形成されていることに、思い当たる節があったとして話しを進めさせていただきます。

hoop

「絶望に隠された願望」について

結婚に対する信念が障害になっているのは、過去の両親との関わりの中での絶望した体験がもとになっていると言えると思います。

私の例で言えば、どうせ私も結婚しても父親のように母親に経済面で優位に立たれていいなりになってしまう、という絶望によってその絶望がまだ起きてもいない結婚生活という未来への恐れとなって、大きな壁として立ちはだかっていたのですが

結婚に関わる信念に限らず、信念の形成にあたっては、絶望体験からその当時の悲しみや悔しさなどの感情を凍りつかせ、男とは・女とは・仕事とは・お金とは・子供とは、こういうものだという人生脚本に結びつくような信念を決断していることが、自分の人生を曇りなき眼で調べれば、見出すことができると思います。

この絶望体験を、癒しのプロセスを通過して、あらためて、今現在の大人の観点で観るとき

癒されることによって凍らせた感情が溶解したことで、お父さんはこうであって欲しかったお母さんはこうであって欲しかった、とか、お父さんとお母さんにはこうして欲しかったこんな言い方で叱って欲しかったこんなふうに愛して欲しかった、という願望が心の奥底で幽閉されてられていることがわかります。

この隠された大きな願望が満たされなかったからこそ絶望体験として傷ついたのでしょうし、自分が望む形でのもしくは仕方での愛情表現として受け取れなかったからこそ、もう二度とこのようなことがないように自分を守るという目的としての信念(結婚に対するブロック)という防衛だったことにも気づけると思います。

しかし、信念によって自分を守るという目的は果たせているのか?

確かに再び絶望し自分が傷つくことを守っているかもしれないけれども、とーっても大切な最も望んでいた願望は隠されたまま、もしくは、心の中で絶望した記憶と一緒に幽閉されたままだということに、これも現在の大人の観点で癒しのプロセスを通じて理解することができるのです。

→次回の「犠牲のサイクル」について、に続きます….

〜神戸 元町 三宮 ヨーガスクエア・ディーバ〜 ヨーガスクエア・ディーバのHPはコチラ→DEVA